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◎ 遺 跡 ・ 史 跡 ◎


雷山神籠石
(らいざん こうご いし)
飛鳥時代:7世紀ごろ
雷山神籠石は、雷山の中腹標高400
m〜480m付近にあります。
雷山千如寺から雷神社を過ぎると右
手に林道が見えるのでそこが入り口
です。

雷山神籠石入り口。

神籠石とは長い間、聖域を示すモニュメ
ントか、古代山城かわからなかったよう
ですが、最近古代の山城であるとの認
識で収まったようです。
現在私たちが見る事が出来るのは南北
2つの水門と列石ですが、南水門は崩
れてしまっていますので北水門と、そこ
から東西に伸びる列石の方が見学しや
すいです。

西側
列石西側

水門全体。
水門全体

東側
列石東側
このように長さ12m、幅10m、高さ3mに積み上げた石の水門が確認できます。

水門位置図


木立の合間から糸島を・・

おもわず乗っちゃいました。
ここは雷山山系の中でも北に突き出しているので糸島がよく見えます。
この写真をとった私の足元には人一人立つのにちょうどいい石があります。
古代の人もここに立って敵を見張っていたのではないでしょうか?
◆このような神籠石は、7世紀ごろ作られたようで大宰府を中心に西は雷山、東は山口など
北部九州から瀬戸内海沿岸にかけて14箇所あるようです。一説によると、7世紀ごろ朝鮮半島では
唐が侵略しつつありその唐を食い止めるため日本は助けを求められました。
最近話題になった飛鳥の酒船石は、この時代の頃のもので水を使って占うための道具といわれています。

当時の天皇は、その酒船石で朝鮮での戦争の行く末を占ったのでしょう。
そしてその戦いに敗れ(663年白村江の戦)唐の侵略を恐れた天皇は外交の要、大宰府を守るため筑紫の水城や、
このような山城を作った。そのひとつが雷山だった・・・と考えるとおもしろいですね。


西行返り
(さいぎょう かえり)
平安時代末期(?)

雷山入り口バス停
三坂の交差点を雷山方面に上っていくと、雷山入り口のバス停のところに”西行返り”とかいてある石碑と看板がひっそりと立っています。

西行返り


看板と石碑
この看板を読んでみると、雷山に和歌の勉強をしに向かっていた西行が、このあたりで休んでいたら、子供が寄ってきて和歌の下の句を読み上げたが、とっさの事で西行はその句に返答する事が出来ず、自分の和歌の未熟さに気が付き、雷山に向かって手を合わせ三坂の宿へ引き返したと書いてあります。
◆本当に西行が来たかどうかはわかりませんが、糸島にはこのような伝説がたくさんあるのですね・・・
≪今回のアクセス-マップです。≫
雷山神籠石・西行返り
地図:上が北になっています。


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