志登支石墓群
(しと しせきぼ ぐん) |
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草の中にくぼんでいるでしょ? |
国道202号の産ノ宮交差点から
500mほど北へ向かうと
田んぼの中の左前方に
志登支石墓群が見えます。
遠くから見るとあまりにも何気なく
木が数本植わっているだけなので
注意してみないと見過ごしそうなほど
ひっそりとたたずんでいます。 |
そこには巨石が・・。 |
近づいてみるとちょっとした広場に2m×1.5mほどの平らな石が5,6基見えるだけです。
しかしこれは、弥生時代早期から中期のお墓なのです。
(約2400年から2000年前!!と言う事は西暦0年よりも前?) |
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支石墓とは朝鮮半島に多くみられる
古いお墓の形式です。
さらに朝鮮半島の特徴を持つ石の
矢じりや石おのが一緒に埋まって
いたので朝鮮半島からきた人々が
埋葬されているのではないかと
言う事です。
また、上に載せてある大きく平らな
石は、糸島富士と呼ばれ
親しまれている可也山から
運ばれてきたもののようです。 |
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さて、2000年前の人たちがどうやってあの山からこの大きな石を運んだのでしょう?
「糸島」という地名は、南の「イト」と北の「シマ」の名が合わさって出来たのですが、
この南北の境界部分はそれぞれ東と西から低湿地帯が入り組んでいて、
現在はそのあたりにはJR筑肥線や国道202号線が通っています。
このあたりは「糸島水道」という海峡があったと長く考えられていましたが
最近、この遺跡がある志登のあたりが陸地としてつながっていた可能性が高いことがわかってきました。
だからこの大きい石は数隻の船が紐か何かで浅瀬まで石を引っ張ってきて
近くの入り江まで運ばれてきたのかなあ。。。
と考えると古代の方たちの苦労が見える気がします。 |