糸島自然研究会 2007年11月例会報告 毘沙門山11月11日)

記録 若宮八恵
立冬も過ぎて時雨でも来そうな朝の空模様だったが、JR九大学研都市駅から、昭和バス西の浦線に乗り換えて今津で下車し、人家の間を抜けて毘沙門山登山道入りロに向かい、マイカーで参加の方々と合流した。参加者は30名(内小学生3、年長児1)、参加カード記入後、点呼を済ませて、本日は、清水会長が、所用で、参加されていませんが、最後まで事故などないようにお願いして、大塚さんの先頭旗、後尾旗を勝田さんが担当して、午前10時半に出発した。
石段の両側には、何本も桜の樹があり、キク科のツワブキがあちこちに黄色い花を咲かせ、葉に光沢がある。広場に上がると正面に、高さ5m程の「元寇殲滅之碑」が建ち、少し離れて「忠魂碑」が、2基あり、西南の役、日清、日露、太平洋戦争で亡くなられた方々の名前が刻まれており、合掌した。
公園を抜けて林道を歩くと、スダジイ、アラカシ等の小さな団栗が沢山落ちていて、子供達が喜んで拾っており、落ち葉を踏みながら歩くとなつかしい音がする。メジロ、ヒヨ、トビの声。林内には、ノハカタカラクサやササクサ(イネ科)フウトウカズラ(コショウ科)が広がっている。先頭の大塚さんが、携帯マイクで「右手の、樹皮が鱗片状にはがれているのはムクノキです」と、説明し、「近くにシロダモの赤い実と、黄色い花も同時にみられます」の声に、皆上を見上げた。足元には、ナキリスゲ(カヤツリグサ科)が細長い葉を垂らし、小穂に実をつけている。
疎林の中を進むと、海からの北風が寒く感じたが、しばらく歩くうちに、陽もさしてきて、タデ科のツルソバが、白い花を沢山つけて群がっているのがきれいね、と、言う声も聞こえた。日当たりのよい林縁に、クサギ(クマツヅラ科)は、花が終わって、紅い尊(がく)の上に青紫色の球形の実をつけていて、草木染めに使う等の、話題もはずむ。足元の藪の中に、フユイチゴ(バラ科)が蔓を伸ばして、葉の付け根につぶらな赤い実を付け、まるでルビーの宝石の様である。
アラカシ、ムクノキ、クヌギ、-タブや、紅葉したハゼの木もきれいである。道端の木にヤマイモの蔓が巻きつき、むかごが沢山ついている。陽だまりに咲いているのは、シマ力ンギク、ヤクシソウ(キク科)の黄色い花が、鮮やかである。シソ科のヤマハツカは、青紫色の小さな花を茎の先に多数つけていた。 40年位はたっているようなスギの林の間を、山道はゆるく右へ曲がり、又、左へ折れて進むと、サネカズラ(ビナンカズラ)も赤い球形の実が幾つも見つかり、蔓状のタンキリマメ(マメ科)も黄が紅色で、はじけて黒いつやのある2粒の実がみえた。
山頂への急坂を登っていると、40人程の団体が追いつき、急に賑やかになった。ボランティア・西区歴史よかとこ案内(今津・元岡グループ)の方々だった。広場には正午頃到着した。詳しく色々と、説明があり、済んでから昼食タイムにした。
昼食を済ませた方途は、毘沙門堂の裏山へ登って、東方の博多湾の、能古島や、玄界島、
更に、眼下に長浜海岸から小田、官浦方面、大原海岸、蒙古軍襲来に備えた元寇防塁のあ
る松林、西の方へ口」他山から糸島一円の景観を楽しんだ。
 平成し14年に福岡西区役所が建てた説明板にば「毘沙門山の名は、栄西(ようさい・1141〜1215)が、誓願寺の奥の院として創設した山頂の毘沙門堂に出来す。栄西は、宋版‥切経の渡来を待って、十数年間この地に滞在しました。今でも栄西も眺めたであろう、ここの美しい景観を存分にお楽しみ下さい。」とある。
ボランティア団体の出発を待って、13時15分に、全員の人数を調べて帰路につく。山道を降りながら、ふと、藪の中に、ウバユリ(ユリ科)の白い実が見つかり、葉ば枯れてしまっているが、花の頃から、下葉が枯れて無いことから(葉=歯)が無いのを姥(ウバ)にしたのが、名の由来とか。ハダカボウズキ(ナス科)も、小さな赤い実を沢山つけ、ヤゾミョウガ(ツユクサ科)ぱ、藍色の実が付いていた。秋の野山は、常緑樹の間に紅葉が美しいこ,とや、いろんな形の実を、見られるのも楽しいものである。すぐ近くの藪の中から、ウグイスの笹鳴きも聞こえた。天気も好くなって30分で出発地点に帰着し、無事に終了した。

観察した他の植物
[木本類]サカキ センダン ヤブツバキ イヌビワ ヒノキ ムクノキ ジュズネ
[草本類]ツルボ ヤゾラン シンミズヒキ チヂミザサ ハコベ オオバコ メヤダイコン ヨウシュヤマゴボウ
[シダ類]ホラシノブ タチシノゾ ウラジロ アマクサシダ

参考図書 益村聖著「九州の花図鑑」


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