アメリカテロ事件現場からの体験投稿
初めて投稿いたします。今後ともよろしくお願い致します。私の高校時代の同級生からの報告を紹介いたします。マスコミ報道より悲惨な状況だったのがよくわかりまた、テロの恐ろしさを身近に感じていただけたらと思い投稿いたしました。全文紹介いたします。  奥 研二

今回のWorld Trade Centerテロ事件に際し、多くの方から
安否の確認等多くのお問い合わせをいただきました。私は
一機目の飛行機が1WTC (North Tower)に激突した時、この
ビルの49階にいましたが、幸いけがもなく避難することが
できました。以下無事のご報告方々、私が目にしたものを
お話しします。


第一勧業銀行、富士銀行と日本興業銀行が経営統合を進めて
いることはご存知かと思いますが、この一環として私の部署
を含む一部の部署は9月4日にNY市の中心部(ミッドタウン)
から1WTC (North Tower)の49階に移り、業務を開始したば
かりでした。

移転後ようやく1週間たった9月11日午前8:45、いつもの
ように東京からのメールをチェックしている時にそれは起き
ました。
多くの日本人が証言しているように、私も一瞬「地震かな」と
思いました。しかし、大きな音と同時に、その揺れ方が、上下
や左右でなくビル全体がねじれるような動きであることや、窓
の外におびただしい量の何かの破片が降ってきたことから、
咄嗟に「飛行機か何かがビルにぶつかったのでは」と思いまし
た。もちろん飛行機とは言ってもセスナかそれより少し大きい
程度の飛行機を漠然とイメージしましたが、まさか旅客機とは
思いもよりませんでした。

最初はビルの揺れが収まって行動をしようと思いましたが、
私の席のすぐ後ろのガラスの振動が大きくなってきたため
既に非難を始めていたアメリカ人スタッフの後を追いオフィ
スを出ることにしました。出口付近で皆が出ていったか確認
しよう振り返った時、後ろからNY市の警察官から転職した
という経暦を持つアメリカ人の部下に”Go! Go! Go! Iwill
follow you!”と大声で怒鳴られ、そのまま階段に走って行き
ました。

非常階段には既に多くの人が緊張した顔でもくもくと階段を
走り下りていました。私は近くにいたアメリカ人スタッフ10
名ほどにできるだけ一緒に行動するうに呼びかけました。
非常階段は二人が並んで下りれる程度のもので、下をのぞいて
も2〜3階下までしかのぞけず、全体の様子はわかりませんで
した。
最初の4〜5階は比較的スムーズに下りることができましたが、
その後は列が立ち止まることが多くなり、40階くらいで一度
完全にストップしました。皆パニックはしていませんでしたが、
「なぜストップしたか順送りで前方の人に聞いてくれ」との声
が上がるのを皆真剣な顔で聞いていました。しかし答えは下の
階からは返ってこず、そのうち列はまた少しずつ動き出しまし
た。周囲の何人かの人は携帯電話で外部に状況の確認をしよう
と試みようとしましたが、「テロかもしれない」との情報以外
には確かなことはわかりませんでした。ましてや、丁度この頃、
2WTC (South Tower)に2機目の旅客機が激突していたこと
など考えも及びませんでした。

非常階段には煙かほこりかが薄く漂っていてハンカチやティッ
シュで口を抑える人が多くいました。
35階くらいから動きは更に遅くなりイライラする人も出てき
ました。皆つとめて冷静な行動をとりましたが、上の階から
「道を空けて下さい!」との声に続いて喘息症状や心臓の弱い
女性が同僚に付き添われて今にも死にそうに喘ぎながら下りて
来るのを皆心配そうな顔で見ていました。
更にショックだったのは、更に上の階から下りてきたと思われ
る全身に火傷を負った女性が下りてきた時で、壁側に寄って道
を空けている女性達の多くが“Oh, God!”と絶句し目をそむけ
ていました。その後も同様に火傷を負った男女数人が下りて
来ましたが、皆髪の毛がチリジリに焼け、服も破れ、腕の皮膚
がだらりと垂れて、裸足で死んだように歩いていました。

25階に近づいたあたりで、最初の消防士4〜5人が上がって
きました。酸素ボンベ等の重装備で地上から階段を上ってきた
ため皆汗だくで、ぐったりした様子で2〜3段上るたびに立ち
止まっていました。われわれの問いかけに答えていましたが、
私には” ----- crashed building. “としか聞こえず状況はよく
わかりませんでした。
この後も4〜5人ずつの消防士が上がってくるたびに
”Fireman’s coming!” と列の後ろに声をかけながら階段を空
けるために立ち止まりました。20階くらいまで下りたあたり
では、各階の非常口が開いていて、廊下に待機している大勢
の消防士も見え「これで何とか助かりそうだ」との思いを強く
持ちました。この後も多くの消防士達が喘ぎながらも上へ上へ
とのぼってゆくのを心から頼もしく思いながら見ていましたが、
彼らの多くは生きて再び地上にもどることはなかったのです。

地上7〜8階あたりから下りるスピードが速まると同時に非常
階段に水が流れ始めました。最後の3〜4階は 5〜6センチの
水の中を走り下り、ようやく地下のロビーにたどりついたのは
9:40頃ではなかったかと思います。そこは壁の大理石が崩れ
落ちる等想像以上に壊れており正に大災害が起きたとの印象を
強く持ちました。数十メートルおきに立っている警察・消防
関係者の “Move! Don’t stop! Move! Move!”との叫び声に
ビルの地下商店街を走りました。地下街は天井のあちこちから
水がザーッと流れ落ちていました。

エスカレーターを走り上がってようやく外に出ました。ビル
の東側はこの時点では最も被害が少なく、ビルの破片等がたく
さん落ちていましたが歩行には問題ありませんでした。
ビルの周囲には避難した人や、この周辺にいた人達でいっぱい
でした。あちこちで会社、知り合いごとの小グループに集まっ
ていて、抱き合って無事を喜んだり、他の人の安否を確認し合
ったりしていました。
近所の商店街でも窓ガラスが割れたところがあり、追突爆破の
衝撃の大きさを物語っていました。ここで初めてビルを見上げ
て両方のビルの上方からもくもくと煙が出ているのを見ました。
この位置からは2WTC(South Tower) は1WTCの陰になり
一部しか見えませんでしたが、この時点では炎は見えませんで
した。我々のグループはできるだけ一緒に行動し、ビルから離
れることにしました。ビルが倒壊するなどとは思っていません
でしたが、ビル内や周辺でのガス爆発等の恐れがあると思った
からです。
その後も何度目かにビルを振り返った時、ついに1WTから
大きな炎が噴出しているのが見え、「もうこのビルには戻れ
ないのでは…. 」と思いました。
5〜6分歩いたところで突然後ろの方から大勢の人が走り出し
我々も皆がはぐれないように走りました。その直後に後ろか
らものすごい量の煙が立ち上がりこちらにやってきました。
しかし、その位置からは最初のビル倒壊が起きたことはまだ
わかりませんでした。
その後、警察が東側(Brooklyn Bridge)への非難誘導をして
いましたが、北に向かう人もたくさんいたので、NY支店の
あるミッドタウンに向け歩き続けました。非常時にはNew
Jersey にあるバックアップセンターに行くという選択肢も
ありましたが、NY支店には多くの人がいるので、まずそこ
に行くことを考えました。
我々のグループは女性も多くいたので、途中のバー・レスト
ランで休憩等をしながら歩きました。両方のビルの倒壊を知っ
たのは、このレストランのテレビを見たときでした。「皆無事
に出られたかな」ということと、「今後の業務の継続の手順を
早く考えなくては」と思いました。又、このあたりから、
免許証・クレジットカード・定期券など全ての入った財布や
車のキーなどが無くなったことによる今後の不便さを考える
余裕が少し出てきました。

歩きながら携帯電話を持っている人は家族に連絡を取ろうと
しましたが、なかなかつながらず、つながった時には一緒に
いる人の名前と自宅の電話番号を教えて、電話をして無事だと
伝えてくれるように頼みました。公衆電話にもたくさんの人
が集まっていましたが、なかなかつながらないようでした。
だんだん見慣れた街並みが近づいてきましたが、避難者の長い
列はどこまでも続いていました。ミッドタウンのNY支店に
皆でたどり着いたのはお昼過ぎでした。人事部に無事の報告
を行い、行員同士で無事を喜び合ったあとは早速当日の業務
継続の準備に入りました。私の部は銀行間の資金決済等を
担当しており、業務の中断は許されません。業務の合間によう
やく自宅に電話を入れることができました。連絡が遅れて家族
に随分長いこと心配をかけてしまいました。

この日の業務終了そして帰宅は深夜になりました。心配して
「今日はお父さんが帰ってくるまで起きている」と言っていた
次男(小6)はよく寝ていました。ほおをなでながら目頭が
熱くなりました。軽い食事の後テレビで今日の事件のニュース
を見ました。リモコンであちこちのチャンネルに換えながら
ツインタワーに一機目、二機目の飛行機が激突するシーンを何度
も何度も繰り返し見ました。一機目の飛行が激突するシーンを
見ながら、「この時このビルの中に本当にいたなんて…」と思わ
ずつぶやきました。疲れていましたが、ベッドに入っても興奮し、
なかなか眠れませんでした。
翌日からNY支店とNew Jersey のバックアップサイトを結ん
での業務となり連日帰宅は深夜になりました。あるアメリカ人
スタッフは「ハリケーンか地震による大災害なら今すぐにでも
家に帰りたい。自然には勝てないから。でも、今回はテロ事件
だ。テロリスト達に計画は失敗だったと思い知らせるためにも、
つらいけれども歯をくいしばって頑張る。多くの犠牲者のため
にも負けるわけにはゆかない。」ときっぱりと言っていました。

おそらく数万人以上の人々が様々な形で今回の悲劇を体験し、
数万のストーリーがあると思います。思いつくままに書いた私
の話は、そのほんの一部にすぎません。
一体ニューヨークに何が起きたのか、まだ頭の中が混乱してい
ます。

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